作家インタビュー

「自分の持っているもので、何が人の役に立つか」それが自分を生かしてくれる / 松田 信久

「おや、この絵はなんだか見覚えがある」

かの有名な名画ではありませんか、しかし単なる模写ではなく人物が猫に置き換わっている。

誰もがよく知る世界の名画達を、愛猫の「まち子」を主人公に置き換え独特の味のあるタッチで描き出す作家、松田 信久。

そこには名画と愛猫双方へのリスペクトと愛が感じられます。

若かりし頃は旅人、帰国後は起業家となり40代後半から作家へ転身したという特異な経歴を持つ松田さん。様々な世界を目の当たりにし、世界の歴史や政治にスピリチュアルな話まで造詣が深く、佇まいも独特な雰囲気を持っています。

自身の人生観、絵を描き始めるまでに至った経緯、ミューズである愛猫「まち子」との出会いまでお話を伺いました。

周りからなんと言われようと「これは自分の人生なんだから、自分の信念で生きたらいい!」と心を強く持ったの。

ー 松田さんは様々な経歴をお持ちとの事ですが、芸術が好きになったきっかけや、どんな人生を辿ってきてアーティストに行き着いたのか、お話いただいてもいいですか?

元々昔から綺麗なものとか、可愛いものが好きってのがあったんですよね。

「男らしくない」とかもよく言われてたけど、ちょっと女性のような感性が自分にはあるのかもしれない。

愛猫をモデルに絵を描いているのも、「可愛い、愛おしいものを形にしたい」ってところから来てるんじゃないかな。

まず僕の芸術の大元はね…高校の頃は柔道をやってたの。国体で優勝した事もあるくらい強かったんだよ。

ー 武道家だったんですね!

そう。芸術とは対局にあると一見思うでしょ?でも「武芸」も、芸術の一つなんだよ。

「芸術」と書くと美術や音楽の世界だと思われがちなんだけど、武芸も「芸」という字がついてるし。スポーツのイメージが強いから勝ち負けの世界だと思われがちだけども、柔道もただ相手を倒すだけの技術じゃないんだよね。

そういう意味での芸術としたら、すべて今の自分に繋がってますね。

その後は海外へ旅に出て、ヨーロッパにソ連(ロシア)に、オーストラリアに東南アジアに…いろんな国を周ってました。

フランスに行ったときはメルボルン柔道連盟の会長に会って、そこから現地の人に柔道を教えてたりしたね。そんな道場破りみたいな事をやってみた事もあるよ(笑)

ー 物凄くチャレンジャーですね!旅はバックパッカーというやつだったんですか?

まさにそう。まだバックパッカーって言葉すら無かった時代だね!

そんなもんだから周りの人からはフラフラしてる奴って思われてたね。

ー 松田さんの年代の方で、そういったベンチャーな生き方は今よりもっと風当たりが強かったのでは…?

そりゃぁもう、後ろ指差されまくりだったよ(笑)

でも「これは自分の人生なんだから、自分の信念で生きたらいい!」って、心を強く持ったの。周りからなんと言われようと。それが自分を支えてる部分です。

日本社会の右へならえ的な風潮や社会構造が嫌いで(笑)「自分を殺して生きる」「生きながら死んでいる」みたいに人生がつまらないものになってしまうくらいなら、やりたいようにやろうってね。

ー マイノリティな人生を選択するのは、かなり勇気がいる事ですよね。

自分の今までの人生の軸として「人を喜ばせたい、驚かせたい」という思いがあるんです。

それを形にしたいと思って、日本に戻ってからは自分で起業して会社を経営してみたりしたんですよ。農業やったりリフォーム会社もやったり。

でもそこでいろいろとね、利権が絡んだような大変な事も経験して…それはそれで社会のあり方について勉強になったから無駄な事は何一つ無かったんだけどね。

そんな事もあって、社会のしがらみに囚われない作家になろうと思ったの。作家は「自分の作ったもので喜んでもらえる」というのが直でわかるから、天職だと思ったね。

絵の活動をする前は、アクセサリー作家をやってたんだよ。アクセサリーも、人に身につけてもらえて喜んでもらえるものだからね。

天然石、レザー、針金で作られたアクセサリー

ー アーティストの中でもそういった経歴の方は珍しいのではと思います。絵を描き始めるに至ったきっかけは?

山奥の田舎に住んでた時に、ある日喫茶店があるなと思って入ったの。そしたらそこは喫茶店じゃなくて、小さな絵画教室をやってたんです。

間違えて入ったんだけど、「あなたも描いてみませんか?」と言われたのがきっかけだね。

そこで何を描こうかなと思ったときに、娘のように可愛がっている猫の「まち子」を題材に可愛く描いてあげたいと思って。そこからだね。

まち子がいなかったら、今自分は絵を描いていない。猫との出会いは人と同じですね。

ー 有名絵画を猫に置き換えるという発想はどこから来たのですか?

スーザン・ハーバートさんというイギリス出身の絵本作家を教えてもらって、その作家がまさに名画を猫で描いてるんです。

その方の絵がすごく好きで、実物の絵をすごく見てみたいと思ったんだけど日本に来る機会がなくて見れないんですよね。

そんな感じで海外では名画をモチーフにしたオマージュ作品というのが結構あったりするんだけど、日本国内ではそれをする人が居なくて。

だったら自分で、自分の愛猫で描いてみよう!と思ったのがきっかけです。

そしたらいいね!って言ってもらえるようになってきて、いろんな所から展示や取材の声がかかるようになって今に至るというね。

保護した当初の子猫だった「まち子」

ー 愛猫であり、松田さんの作品のミューズであるまち子ちゃん、すごく可愛いですよね!まち子ちゃんとはどんな出会いだったんですか?

出会いは大阪の町屋だったね。当時はアクセサリー作家をやっていて、とある屋敷で出店していて。

そこは野良猫がたくさん居る地域だったんだけど、たまたま1匹ミャーミャー泣いてる子猫を見つけて…それがまち子だったね。

町屋で生まれたから「まち子」って名前をつけて。

これがもう本当に可愛くて可愛くて…

当時住んでたのが猫を飼える家じゃなかったんだけど、その足でペットショップへ猫用トイレとかを買いに走って…もう出会ったその瞬間から飼う事を決めてしまいました。それぐらい、衝撃的だった。

昔から猫が大好きだったんだけど、会社経営をしていた時にも倉庫に野良猫がよく来ていて。でもその子達を当時は飼ってあげられなかったのがすごく悔しくて、申し訳ないという気持ちをずっと抱えて生きてたの。

だから、この子だけは絶対放さない!大事にする!って思ったね。

あの子の存在がなかったら、今自分は絵を描いていないです。

猫との出会いは人との出会いと一緒ですね。だからあえて「まち子」という名前もペットらしくない名をつけました。娘のように思っています。

西洋名画は貴族にまつわる歴史が描かれている。それを猫で描く事で「高貴な人物でなくても、野良猫だってこんなに絵になるんだ」という意味もある。

ー 作品からもすごく愛を感じます。元にしている名画に対してもリスペクトが込められていますよね。

名画は歴史があるから好きなんだよね。芸術も好きだけど、元々歴史も大好きで。

西洋の絵画は元々貴族の為のもので、そこに絵師がついていて。だから西洋絵画の世界は、必ずその時代の背景が反映されているんです。

例えば「マリー・アントワネット」なんかそうだね。

フランス革命に巻き込まれてギロチンにかけられた不運な人なんだけど、あの肖像画では美しい姿のアントワネットが残されている。今もファンがいて、美の象徴として時代を超えて影響を与え続けている人物だよね。

その有名な肖像画を描いたヴィジェ・ルブラン本人も革命後はロシアに亡命しなきゃいけなくなって…っていういろいろと大変な時代だったんだけど、そんな感じで西洋絵画にはいろんな歴史背景があるのが面白いと思っていて。

…そんな貴族や権力者の為に描かれたものを、野良猫で、町屋で生まれたまち子に置き換えて描いたら皮肉も込もった意味合いになってしまうんだけどね(笑)

「高貴な人物じゃなくても、野良出身の猫だってこんなに絵になるんだよ」という。

ヴィジェ・ルブラン 「マリー・アントワネット」

人間ができる事は「人に影響を与える事」。自分の持っているもので何が人の役に立つか、そんな覚悟を持って取り組んでますね。

ー これまで活動してきた中で、印象的なエピソードはありますか?

お客様から嬉しい言葉や感想をもらえた時だね。

3月に東京の文房堂ギャラリーで個展をさせていただいた時にも「来て良かった!」「見てると幸せな気持ちになれます!」とか言っていただけて。

そういう言葉を聞いた時は嬉しかったですね。逆にこっちが感動させてもらいました。そういうのは、お金では変えられないものだからね。

まぁ…心無い人の中には「人様の絵を描いてどうするんだ」とか「パクリじゃん」という風にね、批判された事もあります(笑)

でも自分は悪意ではなくリスペクトを込めて描いてるし、ピカソだっていろんな名画をオマージュした作品を描いてる。

実は海外ではそういったパロディとかオマージュ作品というのは多いんですよね。

芸術ってのはそういう自由なものでいいと思うんです。著作権というのも、ある意味人を縛ってるものでもあると思うんだよね。

ー日本は著作権について厳しい国ですし、オマージュ作品というのもメジャーではないように思いますね。そんな松田さんにとって「創作」とは何ですか?

「喜び」ですね。まさにそれしかない。没頭ができるし、創作は自分の好きなようにできる世界だから。

それに、絵を見たり買ってくれた人にも喜んでもらえたらなって。絵は部屋に飾ってもらったら、生活の一部になって毎日眺めるものですからね。

自分は偉い人に評価してもらえる事よりも「人を喜ばせたい」「驚かせたい」という気持ちが原動力なので、自分の絵で喜んでくれる人が居てくれる限りは描き続けたいです。

人間ができる事というのは、人に影響を与える事なんだよ。

「自分の持っているもので何が人の役に立つか」という事が自分を生かしてくれる。それが僕の根本にあるんです。

そんな覚悟を持って、作家活動もどの分野も取り組んでますね。

お金という概念に縛られるのではなく、その人にとっての本当の豊かさを見つけていく方がいい。

ー 最後に、読者にメッセージがあればお願いします。

みんなもっと自分の人生を楽しんだらいいよ!

お金が大事って、思うじゃない?勿論必要なんだけど、お金って結局はどこから来てるかといったら、自分の時間なんだよ。「自分の時間をお金に変えている」というだけ。

大きなお金を稼げば自分の自由な時間が手に入るって錯覚されがちだけど、実はそうじゃない。

それにお金だけじゃなくて、アートやお花を見たり、風を感じたりとかで気持ちが豊かになれるじゃない?

お金という概念に縛られるのではなく、その人にとっての本当の豊かさを見つけていく方がいい。人間というのは心のあり方でなんとでも変えられるから。人は変えられなくても自分は変えられるよ。

一人ひとりの自分の人生を本気で生きる事を考えていかなければ、自分の国を良くしていこう、守ろうともいう風にも思わないよね。じゃないと日本人は世界で生き残れない人種になってしまう、って気がするね。

そういうのも若い人には伝えていけたらと思いますね。

松田さんの描く猫の名画には、まち子への愛、芸術への賛美と同時にアンチテーゼ、本質的な自由の探求、それらが集約されたものであると言えるのでは。

その熱い思いを綴るには、一つの記事には収まりきらない程に語っていただきましたが、当記事で少しでもその熱量が伝われば幸いです。

もし、この記事を読んでいただいているあなたの人生の中で、松田さんと出会いお話をする機会があれば、是非いろんなお話を伺ってみるといいかもしれません。